2014年2月5日水曜日

あたらしいこと。

よく

あなたの目標はなに?

と聞かれる。



目標か…  「無いですね。」


 と俺は応える事が多い。



目標ってなんなんでしょうか


一歩間違えれば自分を狭い価値観の中に
縛り付ける事になりかねない。


目標より人生の大きなテーマのほうが好きだな。



ま、そんな事を思いながら



ここ1年ほど
ずっと煮詰めてたプロジェクトが動き出しそうです。




それは6月がキーとなる。



自分が生きている間に
いったい何ができるか
そんなことはまったく分からないけど



可能性は常に追い求めつづけたいものです。








2014年1月29日水曜日

道具




道具、機材の大切さって
写真を撮れば撮るほどわかってくる



突き詰めればまた課題があり壁に当たる

それは知識なのか道具なのか



てことで



今までなんで持ってなかったの?
と言うようなレンズを今回2本追加します。

キャノン100mmマクロL
キャノン85mmf1.8


単純に
商品撮影と人物撮影が増えてきたからです



もうどんどん深みにはまっていく


どんどんね











2014年1月26日日曜日

神秘性



























人が忘れてしまった感覚というのは

一言では表現しがたいが、

簡単に言うと神秘性みたいなものなのか




ある大きな地震が引き起こした爪痕の傷口は

今もなお広がりつつある




年月、時間というものは厄介で

重大な記憶を少しずつ中和しつづける




本当に厄介だ




また再び悲劇が起こるまで

その記憶は薄まっていくのである




意識というのは常に開ききっていないといけない

それを可能にしてくれるのが

神秘性ではないか




生と死の両方を常に感じながら

本来人は生きなければならないのだが




今はなかなか難しいことではあるのです




それに気づくため

また悲劇はおこる、その可能性が増えてしまう

これが自然の摂理というべきか



仕方が無いことです

2014年1月23日木曜日

40年前





今日ある中古本が届いた


少し前にアシスタントの子が古本屋で見つけてきた
といって事務所にもってきてくれた

それを少し見せてもらって、なにかビビッときたんだと思う。

僕もネットで中古を探して探して
ようやく注文ができた


全部で12巻くらいあったかな

とにかく内容がすごい

何が凄いかって言われると難しいんだけど



今の本にはのっていないような

写真に対する考え方や本質、基本がのっている
 


後、冊子のデザインもなんか

グラフィカルですごいんです

これにもひかれたのも大きいかな



こういうの見てしまうと

40年前って今よりもなんかストイックで

この時代にほぼ写真に対する基本は出来上がっていた気がする


僕たちは日々時代とともに進化しているつもりでいるが

便利すぎて本質がどこかボケてきているというか

そんな気もしないでもない




ちょっとゆっくり読んでみたいと思う


2014年1月22日水曜日

1つ1つ

盛り上がった




久しぶりにカメラを仕事にする友人と打ち合わせついでにランチ


彼女は10年以上もカメラ一筋でやっているカメラマン

フィルム時代を経て今があるという話をしていたのですが


良いモノをカタチにすることが

ものすごくリスクがあるっていうのは本当に

良く思うことで



フィルム時代、カメラマンって

今では考えられないくらいリスクがいっぱいあって

フィルム時代からデジタル時代に入った当初も

カメラ自体が高機能ではなく高感度も使い物にならないのが

当たり前だった



1枚に対するプレッシャーや責任感などの重圧はそれは

すごいものだったとおもうのです


だからこそ1枚に対する気持ちが違う




僕は今、逆戻りをしている

それはフィルムにものすごく興味があり

その深みを感じたいと強く思うようになった



最初カメラを始めたのはデジタルから

リコーGXとオリンパスのカメラを買ったのが始まり



当時はカメラのこと何もわからず見た目だけで買ったのですが
そんなこんなで始まったカメラ人生

仕事も少しづついただくようになったとき
そのときはオリンパスの一眼レフで写真を撮ってたかな
あるダンスイベント撮影を頼まれた
何気なくうけた仕事でしたが
当日会場に行って冷や汗が出たのをおぼえている



今までに無い最悪の悪条件


とにかく会場が古い民家の倉庫で暗く、シャッター音が響く
狭くて動けない、リハーサルを見ていてダンスをする動きがとにかく速い

高感度がiso800がギリギリ使える程度のカメラだった

レンズはF2.0の通しズームレンズをつけ
重たいが食らいつくように音を気にしながら
タイミングを見けながら撮り続けた


イベントが終わったとき

全身から流れる汗と疲労感はすさまじかったのを覚えている


でもそういう過酷な状況での撮影したものは

やっぱり後で見てもいいな〜って思える写真が多いのが事実



なんなんだろうな

でもフィルムにひかれるのは

そういう感覚をもっと知りたいという欲求からなのか



ほんと大事よね〜そいうの

昨日は久しぶりにそんな話しをしながら

自分を振り返れる貴重な時間でした






















2014年1月18日土曜日

言葉の存在




















言葉は今、簡単に共有できるようになった。



メールという便利なシステム

SNSというシステム

それは本当に人と人とのコミニケーションを簡単にした。

特にフェイスブックは生活の中で必要な存在にまでなり

個人が好きな事を発し

いとも簡単に色んなものを共有でき

今では人の心の支えにまでなっている。


僕は最近思うのですが


言葉とはいったいなんのためにあるのかという疑問


本来は自分の想いを文字にし相手に伝える手段であった。

それを書にしたり、声を発し音として伝える。


本来はもっと気持ちのこもった、あたたかいものであった。

それはうれしい言葉も、怒られたり、愚痴のような言葉でも

そこにはすべて温度があった。



「伝えるということ」


これをもう一度問いたい



画面に文字を写した時

それは限りなく温度が無く、伝わりにくいものへと変わってしまう。



それを多用するようになり

あたりまえとなり

そこで人の印象やイメージまでもが生まれてしまう。


コミュニケーションとは

その中から生まれる言葉とは

本来の大切な意味をもう一度考え直したい。



僕がブログを始めたのも

言葉を発するのに、よく考え自分の頭の中を整理し
時間をかけ文字にしたいからだ。



何もかもが簡単に出来てしまう時代

だからしっかりと大切な事とは何かを自分にと問い続けることが

今は凄く大事だと感じています。




















被写体


















被写体の存在って自分にとって

めちゃくちゃ大事で

特に人を撮る場合

いろいろとすごく考えさせられる



瞬時でその人の特徴や空気感を見抜けなければ
写真は嘘をつかないから素直に写ってしまう


この被写体をどう撮れば一番良いのか

カメラはどれがよくて、レンズはどれがいいのか

デジタルがいいのか、フィルムがいいのか

光の質感はどうすればいいか

絞りはどれくらいか

とにかくたくさん考えないといけない



これは相手と向き合い

自分と向き合う


なんとなく自然とそんな流れなのかもしれない