2014年1月29日水曜日

道具




道具、機材の大切さって
写真を撮れば撮るほどわかってくる



突き詰めればまた課題があり壁に当たる

それは知識なのか道具なのか



てことで



今までなんで持ってなかったの?
と言うようなレンズを今回2本追加します。

キャノン100mmマクロL
キャノン85mmf1.8


単純に
商品撮影と人物撮影が増えてきたからです



もうどんどん深みにはまっていく


どんどんね











2014年1月26日日曜日

神秘性



























人が忘れてしまった感覚というのは

一言では表現しがたいが、

簡単に言うと神秘性みたいなものなのか




ある大きな地震が引き起こした爪痕の傷口は

今もなお広がりつつある




年月、時間というものは厄介で

重大な記憶を少しずつ中和しつづける




本当に厄介だ




また再び悲劇が起こるまで

その記憶は薄まっていくのである




意識というのは常に開ききっていないといけない

それを可能にしてくれるのが

神秘性ではないか




生と死の両方を常に感じながら

本来人は生きなければならないのだが




今はなかなか難しいことではあるのです




それに気づくため

また悲劇はおこる、その可能性が増えてしまう

これが自然の摂理というべきか



仕方が無いことです

2014年1月23日木曜日

40年前





今日ある中古本が届いた


少し前にアシスタントの子が古本屋で見つけてきた
といって事務所にもってきてくれた

それを少し見せてもらって、なにかビビッときたんだと思う。

僕もネットで中古を探して探して
ようやく注文ができた


全部で12巻くらいあったかな

とにかく内容がすごい

何が凄いかって言われると難しいんだけど



今の本にはのっていないような

写真に対する考え方や本質、基本がのっている
 


後、冊子のデザインもなんか

グラフィカルですごいんです

これにもひかれたのも大きいかな



こういうの見てしまうと

40年前って今よりもなんかストイックで

この時代にほぼ写真に対する基本は出来上がっていた気がする


僕たちは日々時代とともに進化しているつもりでいるが

便利すぎて本質がどこかボケてきているというか

そんな気もしないでもない




ちょっとゆっくり読んでみたいと思う


2014年1月22日水曜日

1つ1つ

盛り上がった




久しぶりにカメラを仕事にする友人と打ち合わせついでにランチ


彼女は10年以上もカメラ一筋でやっているカメラマン

フィルム時代を経て今があるという話をしていたのですが


良いモノをカタチにすることが

ものすごくリスクがあるっていうのは本当に

良く思うことで



フィルム時代、カメラマンって

今では考えられないくらいリスクがいっぱいあって

フィルム時代からデジタル時代に入った当初も

カメラ自体が高機能ではなく高感度も使い物にならないのが

当たり前だった



1枚に対するプレッシャーや責任感などの重圧はそれは

すごいものだったとおもうのです


だからこそ1枚に対する気持ちが違う




僕は今、逆戻りをしている

それはフィルムにものすごく興味があり

その深みを感じたいと強く思うようになった



最初カメラを始めたのはデジタルから

リコーGXとオリンパスのカメラを買ったのが始まり



当時はカメラのこと何もわからず見た目だけで買ったのですが
そんなこんなで始まったカメラ人生

仕事も少しづついただくようになったとき
そのときはオリンパスの一眼レフで写真を撮ってたかな
あるダンスイベント撮影を頼まれた
何気なくうけた仕事でしたが
当日会場に行って冷や汗が出たのをおぼえている



今までに無い最悪の悪条件


とにかく会場が古い民家の倉庫で暗く、シャッター音が響く
狭くて動けない、リハーサルを見ていてダンスをする動きがとにかく速い

高感度がiso800がギリギリ使える程度のカメラだった

レンズはF2.0の通しズームレンズをつけ
重たいが食らいつくように音を気にしながら
タイミングを見けながら撮り続けた


イベントが終わったとき

全身から流れる汗と疲労感はすさまじかったのを覚えている


でもそういう過酷な状況での撮影したものは

やっぱり後で見てもいいな〜って思える写真が多いのが事実



なんなんだろうな

でもフィルムにひかれるのは

そういう感覚をもっと知りたいという欲求からなのか



ほんと大事よね〜そいうの

昨日は久しぶりにそんな話しをしながら

自分を振り返れる貴重な時間でした






















2014年1月18日土曜日

言葉の存在




















言葉は今、簡単に共有できるようになった。



メールという便利なシステム

SNSというシステム

それは本当に人と人とのコミニケーションを簡単にした。

特にフェイスブックは生活の中で必要な存在にまでなり

個人が好きな事を発し

いとも簡単に色んなものを共有でき

今では人の心の支えにまでなっている。


僕は最近思うのですが


言葉とはいったいなんのためにあるのかという疑問


本来は自分の想いを文字にし相手に伝える手段であった。

それを書にしたり、声を発し音として伝える。


本来はもっと気持ちのこもった、あたたかいものであった。

それはうれしい言葉も、怒られたり、愚痴のような言葉でも

そこにはすべて温度があった。



「伝えるということ」


これをもう一度問いたい



画面に文字を写した時

それは限りなく温度が無く、伝わりにくいものへと変わってしまう。



それを多用するようになり

あたりまえとなり

そこで人の印象やイメージまでもが生まれてしまう。


コミュニケーションとは

その中から生まれる言葉とは

本来の大切な意味をもう一度考え直したい。



僕がブログを始めたのも

言葉を発するのに、よく考え自分の頭の中を整理し
時間をかけ文字にしたいからだ。



何もかもが簡単に出来てしまう時代

だからしっかりと大切な事とは何かを自分にと問い続けることが

今は凄く大事だと感じています。




















被写体


















被写体の存在って自分にとって

めちゃくちゃ大事で

特に人を撮る場合

いろいろとすごく考えさせられる



瞬時でその人の特徴や空気感を見抜けなければ
写真は嘘をつかないから素直に写ってしまう


この被写体をどう撮れば一番良いのか

カメラはどれがよくて、レンズはどれがいいのか

デジタルがいいのか、フィルムがいいのか

光の質感はどうすればいいか

絞りはどれくらいか

とにかくたくさん考えないといけない



これは相手と向き合い

自分と向き合う


なんとなく自然とそんな流れなのかもしれない


2014年1月17日金曜日

今を問う






綺麗な音を聞くと、いろんなモノがはっきりと見えてくる。








自分の胸に手をおき


自分に問うてみる。



「お前は何をしにここへきたのか」

「何の役に立つ為なのか、
  本当の意味で何かの役に立つ事をお前はできているのか」

「生きるとはどういうことなのか」


当たり前の事も問うてみる。


「身の回りの植物、動物は元気か」

「目に見えないものへ迷惑をかけてないか」

「空気は美味しいか」

「食べてるものは大丈夫か」

「今、お前は楽しいのか」




生きる循環ってなんなんですかね


でも


生きることはシンプルで

宇宙と、地球と、自然と、動物と、

色んなここにある存在の全体のルールを守れば

幸せは自然と生まれるもの。



そう思う。



守れてるかな?




何かを生み出すもの

リーダーシップをとるもの

それに手を差し伸べるもの

そこにここで生きる上での道徳とルールを理解し
絶対的な責任と覚悟を負わなければならない


そういうものが、今

どれだけ存在するのか…


今の自分も含め

本当に人間は情けない

そう僕は思う


2014年1月15日水曜日

生き方にこだわりを持つこと

自分のこだわりってありますか?


ここはこうでないとダメだ

というような自分の絶対的ルールのような

それは考え方やモノへの執着であったり



でもこれって凄く大事だなと最近は想う


オシャレってなんなでしょうか?



良いものをもってり、有名な良い服を買って着こなすのも

オシャレなのかもしれない。


でも、そこに自分の思想やスタイルが何もなければ

オシャレではないんじゃないか



俺は一貫性がある人が大好きです

つじつまが整っていて、説得力がある

隙のないこだわり

決して自分が生み出す世界観からはみ出ようとしない

妥協をしない自信



いいですよね




世界観やセンスってこういうとこから磨かれる

そしてクリエイティブな仕事をするにあたり絶対に大事なこと



でも残念ながら

そう言う人はごくごくわずかしかいません



僕の周りにも数人しかいない



モノを0からカタチにすることは

相当なアイデアとユーモアと世界観が必要です



自分をストイックに妥協の無い生き方

生きる事にこだわりを持つ事



これが本当のライフスタイルであり

オシャレだと俺は想う



ま、でも

こういう見本になる大人がテレビや

色んな分野に少なくなってきているのも事実


「憧れる」


そんな生き様に出会う事が少なくなってきているんだろう






2014年1月11日土曜日

本当の意味での創造の時代を



















私たちは本当にこれで良いのでしょうか。


いろんな出来事を含め
ここ数日また考えるようになった。



生きるってなんなんでしょうか。

幸せってどういうことを言うのでしょうか。



そこには感じる個人差はあると思います。



この世に全うな人間はいったいどれくらい存在するんでしょうか。



人には一人一人必ず役割があり


生まれてきた意味があるとおもうのですが


それを思い出す人たちはどれくらいいるんだろう。






何か本当に実感を得るような
意味のあることをやりたいものです。


自分の関わるもの

生み出すものに

本当の正しいさとはを問い

責任を持つべきだと






思うのです。





今年はしっかり本当の自分の声
と共に見極めていきたいと




思うのです。

2014年1月9日木曜日

限りなく




灰野敬二


この人が放つ言葉と音は

限りなくリアルで自分を感動させてくれる。



追求というプロフェッショナル。

「俺はこうだ。」

そういう絶対に曲がらない信念。

でもそれはもの凄く対等であり

決して独りよがりなものではない。




「やりたい事をやる」




これを本当の意味で発する事が出来る人は

愛を限りなく知っている人。



俺はそう思う。


2014年1月8日水曜日

LEICA M6との出会い
















 LECA M6




年末にふらっと一人で東京にいった。

目的は人に会うためとオールドレンズを1つ欲しかったからだ。


最近はアナログレンズにはまっており

それもオリンパスのEM-1を買ったのが始まり。

しかし、このカメラはとてもよくできている。


最近は画質や機能にカメラの魅力が問われている気がする中

そういう所もしっかり詰めながらも

カメラとして本来の持った感じの充実感や撮ることの楽しさ、

持ち心地などなどほんとうに良くできたカメラです。



そんな中でなにか物足りないものを感じていた。

それは、「便利すぎる」と言うこと。


手ぶれ補正はものすごく補正してくれるし、

isoをあげても画質は退化せずに奇麗。


一見良いことなんだけど、僕にはどこかモノ足りなかった。


東京をふらふら目的もなく歩きながら写真を撮る。

AFも早くて、瞬時で構えて撮影することができる。
多少のことではブレない。
すごいことだ。


瞬間、自分と被写体のタイミングってすごく重要で

合うときがあれば合わないときもある。

合わないときってブレたり、ボケてたり
でもそういうのも後でみればよかったりする。

そういうアンバランスな瞬間に写真で出会う機会が減り

そういうものに飢えていたのかな。


そんなことを思いながら
新宿にある、とある中古カメラ屋にはいった。


入ってすぐに目の前に並ぶLEICAのカメラ。


あこがれでもあるカメラ、いつか買うのだろうと思いながら

俺にはまだ早いなと言い聞かせながら

ガラスケースにはいったカメラを眺めていた。


今日はオールドレンズを探しにきた目的もあったことを思い出し

何気なくLEICAのレンズの話を店員さんに質問してみた。


それからどれくらいたったかな。。。

2時間は話したかな。

その店員さんはLEICAのヘビーユーザーでもあり

M6を所有しているらしく

その魅力を事細かに楽しそうに話してくれた。


話をじっくりと聞く中で
まさに自分が今求めているものがこのカメラには詰まっているかもしれない…

そう、なにか光のようなものを感じながら

僕の中で答えが出た。



「これください、買います!」




店員さんはびっくりしてましたけど

僕の中でこれは出会いなんだなと

カメラとも、店員さんともこのタイミングで大切なことを教えてくれて

ありがとうと嬉しい気持ちと一緒に

LEICA  M6を手にしながら帰った。



ま、こんな想像もしなかった出会いから

今はあこがれのLEICA M6で写真を撮れることとなったのですが

決して便利なものでもなく今のデジカメに比べればものすごくレスポンスも悪いが

ただそれ以上に大事なものがこのカメラには詰まっています。



仕事やプライベートで写真を撮っていて

僕が大事にしたいのはやっぱり1枚に対する深みと重み。


これはデジタルになって写真が手軽になったからこそ

絶対に感覚として忘れていけないものです。



写真ってほんまにものすごく深く、
そうは簡単に良い写真と言えるものに出会えない。


もっと感覚を研ぎすませて
モノを見抜く目を養わないといけない。


これはもう
死ぬまでの自分との戦いですね。
すごく良い意味でね。




あとね、最初にも書きましたが

オリンパスEM-1、ものすごくいいカメラです。

便利すぎるけど、これはこれで良いんです。

最高の普段用のカメラとして重宝しております。


カメラ購入で悩んでる方がいれば
是非使ってみてください。




きっと写真すきになりますよ。







2014年1月5日日曜日

爆発力

2014年になりました。
おめでとうございます。


相変わらず、俺は正月らしい正月は過ごさずに

昨日からは仕事モード。


去年は後半は特にいろいろ走ってきた感じが凄くあるけど

今年はまたまったく違う感覚を感じている。


「確実に」この言葉が似合うのかな…


全ての準備はある程度整い

今年はピンポイントに攻める年でもある

そんな予感がしている


ま、簡単に言えばROCKな年。


今年はねくるよ、ROCKが

骨太な分厚い重圧感のある、分かり易い音楽

ここ数年ゆる〜い風潮がしばらく定着していたから

そろそろね、もうえーかなと。


地域的なイベントも

人間関係もゆる〜い感じがすっとあったけど、

もう和気あいあいなのはオサラバ。


ストイックに攻め、

ガンガン自分の奥底にある本音と向き合って

常に爆発しながら、そのエネルギーで

新しいものを生み出して行く 。


「芸術は爆発だ」

太郎氏が言っていたように

やはり創造性とは

内からの爆発が大事だ。



大爆発せよ。