2014年1月18日土曜日

言葉の存在




















言葉は今、簡単に共有できるようになった。



メールという便利なシステム

SNSというシステム

それは本当に人と人とのコミニケーションを簡単にした。

特にフェイスブックは生活の中で必要な存在にまでなり

個人が好きな事を発し

いとも簡単に色んなものを共有でき

今では人の心の支えにまでなっている。


僕は最近思うのですが


言葉とはいったいなんのためにあるのかという疑問


本来は自分の想いを文字にし相手に伝える手段であった。

それを書にしたり、声を発し音として伝える。


本来はもっと気持ちのこもった、あたたかいものであった。

それはうれしい言葉も、怒られたり、愚痴のような言葉でも

そこにはすべて温度があった。



「伝えるということ」


これをもう一度問いたい



画面に文字を写した時

それは限りなく温度が無く、伝わりにくいものへと変わってしまう。



それを多用するようになり

あたりまえとなり

そこで人の印象やイメージまでもが生まれてしまう。


コミュニケーションとは

その中から生まれる言葉とは

本来の大切な意味をもう一度考え直したい。



僕がブログを始めたのも

言葉を発するのに、よく考え自分の頭の中を整理し
時間をかけ文字にしたいからだ。



何もかもが簡単に出来てしまう時代

だからしっかりと大切な事とは何かを自分にと問い続けることが

今は凄く大事だと感じています。




















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